鎌倉殿がもっと楽しくなる!リレーコラム⑪鎌倉殿と観音さま
三浦浩樹(鎌倉長谷寺 学芸員)
平家追討に兵を挙げたものの、石橋山の戦いに敗れてしまった源頼朝は、髻に納めていた観音菩薩の小像を、身を潜めていた場所に身代わりとして残したという。その観音像は頼朝の乳母が京都の清水寺で得たものだった。
のちに、その観音像は頼朝のもとに還り、持仏堂(のちに墓所となる法華堂)の本尊として祀られたという。いずれも頼朝と観音菩薩を結びつける逸話である。また、妻の政子も観音像を描くことを日課としていたようで、頼朝の遺志を継いだ実朝によって坂東の三十三観音霊場は整備されたという。
なお、鶴岡八幡宮の傍に残る「鉄の井」の伝承によれば、扇谷には新清水寺という巨大な鉄の観音像を祀る寺院があったとされ、この像も頼朝の守護仏と伝えられている。
ただ、同じく巨大な観音像を祀り、旧い由緒を持つ長谷寺に鎌倉殿が参拝した様子は『吾妻鏡』のなかで語られることはなかった。