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「はじめての日本書紀」古代日本を楽しく紐解く

日本書紀とは720年(養老4年)に完成した歴史書のこと。日本神話の時代から持統天皇の時代までの歴史が記されており、現存する日本最古の正史(国が編纂した歴史書)とされています。

全30巻の大作で、巻1・2は神代じんだい(日本神話の時代)を扱う「神代紀」、その後は歴代天皇の時代の出来事がまとめられています。

日本書紀は同じ時代に編纂された「古事記」と併せて「記紀」と呼ばれます。天武天皇の命令で作られたという共通点はありますが、編纂の意図が異なるために様々な違いがあります。その違いを簡単にまとめると

日本書紀

漢文で書かれている(対外向けに作られた)
年代順に記されている(編年体)
全30巻(+系図1巻)
神代の話が少ない(30巻中2巻)

古事記

万葉仮名を含む変体漢文で書かれている(国内向けに作られた)
物語のように記されている
全3巻
神代の話が多い(3巻中1巻)

また、同じ出来事・人物でも内容や性格が異なっている部分があり、読み比べてみるのも面白いです。

今回は、日本書紀に登場する人物に着目した個性豊かなエピソードと、日本書紀を”楽しく”読む、湘南アカデミアの講座をご紹介します!

日本書紀を彩る個性豊かな登場人物たち!

日本書紀は歴史書ですが、その内容は意外にも破天荒なエピソードが盛りだくさん。特に個性的な神様・人物をご紹介しましょう!

アメノウズメ

2022年に話題になった「すずめの戸締り」の主人公の名前の由来になったといわれる女神。天照大御神あまてらすおおみかみが天岩戸に引きこもり、世界が暗闇になってしまった時に、岩戸の前で熱狂的な踊りを披露して天照大御神を岩戸から誘い出すことに成功します。そのことから、日本の芸能のルーツとされる神様です。

サルタヒコオオカミ

天孫が地上世界に降臨した際に、道の衢(ちまた、境のこと)で立ちはだかっていた神。ホオズキのように赤い顔、そびえるような高身長、八咫鏡やたのかがみのような大きな瞳という容姿は天界の神々を圧倒し、誰も進めなくさせてしまった。そこでアメノウズメが派遣され、凄まじい表情をして唯一口を利くことができた。そこで問いただしてみると、実は行く手を阻んでいたのではなく、天孫が下ってくることを聞いて水先案内人を務めようと待っていたとのこと。アメノウズメの夫と言われ、その容姿から天狗とも、道の神であることから道祖神とも見なされる。

味耜高彦根命アヂスキタカヒコネノカミ

生前交流のあった天稚彦アメノワカヒコの葬儀に出向いた際、天稚彦に瓜二つの容姿であったため、遺族に本人が生き返ったと勘違いされる。それに激怒し、遺体を安置していた葬送のための小屋を剣でぶった切り壊してしまう。

事代主神コトシロヌシノカミ

国譲り神話の中で、父である大国主に代わり、天孫に地上世界を譲り渡すことを述べた神。(コト(言/事)を代わって述べる神)。その際に釣りをしていたことから七福神の恵比寿と習合する。父の大国主も大黒天ともされる。

ホノスホリノミコト・ヒコホホデミノミコト

天孫ニニギノミコトと山の神の娘コノハナサクヤヒメとの間に生まれた兄弟。母が一夜にして身ごもったことから父にその出自を疑われ、火を放った産屋の中で産まれた。別名海幸、山幸であり、日本昔話の原型は彼らの話。

珍彦ウズヒコ → 後に椎根津彦

釣りをしている時、東征中であった初代天皇の神武が訪れる事を悟り、自ら水先案内人を買って出た国神くにつかみ。その後も、老人の変装をして見張り役を大爆笑させ、敵陣を突破してしまうなど、神武を補佐し続けた賢臣。

ヤマトトヒモモソヒメ

第十代天皇崇神の時代に三輪山の祭神・大物主神の妻となったことが記される。夜にしか自分の元へ通って来ない夫の顔を拝したいと望んだ。大物主は自分の姿を見ても決して驚かいないことを条件に姿を現すことを約束するが、櫛笥の箱に入った美しい小蛇の姿を見て驚き声をあげてしまう。これを恥じた大物主はヒメを恨み、山に帰ってしまった姿を呆然と見送り、後悔の念に苛まれたヒメは尻もちをつくが、これが原因で無くなってしまう。彼女の墓は箸墓と呼ばれ、現在の奈良県にある。卑弥呼のモデルの一人とされる。

野見宿禰のみのすくね

相撲節会の起源とされる話に登場する。力自慢の当麻蹶速たぎまのくゑはやと力比べをし、あばらと腰の骨を折って殺してしまう。出雲の国の出身で、埴輪作りの起源となる話にも出てくる。

忍坂大中姫おしさかのおおなかつひめ

允恭天皇の皇后。雄略(第5皇子)の生母。他に横暴であったため皇太子位を失った木梨軽皇子、木梨軽皇子と近親相姦の関係になったため伊予に流刑にされた軽大娘皇女、安康天皇など、5男4女を儲けた。夫の允恭天皇が自分の妹である弟姫(衣通郎姫:美しさが纏う衣から透けるほどだったという意味)を召し上げようとしたが、皇后は良くは思わなかった。姉の気持ちを察した弟姫は参上しなかったが、諦めきれない允恭はついに妃とする。允恭は皇后がお産をしている日に弟姫に逢いに行ったので、皇后は「生死をかけてお産をしているまさに今夜、なぜ、弟姫に逢いに行かれるのか」といって、産屋ごと焼身自殺を図る。それを聞いた允恭は大変驚き、皇后を宥めた。この日、皇后が産んだ子が雄略である。

激しい性格の持ち主のようにみえるが、雄略の治世下では、怒れる雄略の御心を解きほぐし、わかり合える人として、雄略を喜ばせたという話がある(それを聞いて皇后も喜びが胸に満ち溢れたとある)。

田道間守たじまもり

垂仁に命じられ、食べると不老不死になるという果物を常世の国(神仙の住む世界)まで取りに行くが、その実をもって帰って来た時には垂仁は既に崩御していた。その死を悲しんだ田道守は御陵に出向いて殉死してしまう。常世の国の実というのは橘のことだという。

武内宿禰たけうちのすくね

健内宿禰とも。その名は勇猛な、内廷の宿禰という意味。成務、仲哀、神功皇后、崇神に仕えた賢臣。一円札の表紙にもなった。異母弟の甘美宿禰に皇位を狙っていると讒言され、殺されそうになるが、真似子(似ている者という意)が身代わりとなり、難を逃れ、盟神探湯によって自らの潔白を証明することに成功した。

神功皇后

オキナガタラシとも。ヤマトタケルの御子の仲哀天皇の皇后であった。神からの託宣を疑ったがために崩御した夫に代わり、妊娠中にもかかわらず、三韓討伐を遂行した。出陣の最中、産気づきそうになると、石をお腹に当てて冷やし、出産を遅らせたという女傑。生まれた皇子は後の応神で、お腹の中にいる時から出陣していたことから、後世、戦の神である八幡神として崇敬される。

口持臣くちもちのおみ

自身の不在中に別の女性を妃としたことに怒り出てってしまった皇后を呼び戻すために仁徳天皇の伝言を持ってきた臣下。名が体を表している臣下の例。

吉備上道臣田狭きびのかみつみちのおみたさ

宮仕えの最中に、自分の妻ほどの美人はこの世にはいないと友に自慢していたところを雄略に聞かれ、妻の稚媛を取られたあげく、自身は地方へ左遷された。稚媛が雄略との間に設けた星川は雄略の遺言の中で、皇位を狙い皇太子を殺そうとしている腹の中が黒い者だと言われている。

人文石小麻呂ひとあやしのふみまろ

目に余る残虐行為のため、雄略の命で焼き討ちにあう。屋敷を焼かれ、炎の中から大きな白い犬が飛び出したので、臣下がそれを斬ると、文石小麻呂になったという。

少子部連蜾蠃ちいさこべのむらじすがる

雄略天皇の臣下。雄略からかいこ(こ)を集めるよう命令されたが、スガルは誤って(赤子)を集めてしまった。雄略天皇は大笑いして、スガルに「お前自身で養いなさい」と言って皇居の垣の近くで養育させた。同時に「少子部連」の姓を与えた。

人田辺史伯孫ひとたなべのふひとはくそん

娘の産んだ初孫を見に婿の家へ行った帰り道、応神陵の近くで素晴らしい馬に乗った者に遭遇する。その者と自分の乗っていた馬を交換してもらい家に帰るが、翌朝、馬小屋に行くと、その馬は埴輪の馬となっていて、応神陵に行ってみると、自分の馬が埴輪馬に混ざっていた。

日本書紀を楽しく読み解く!講座「日本書紀を楽しむ」

日本書紀”楽しく”読みとく講座「日本書紀を楽しむ」が湘南アカデミアで開講中です!2023年1月からは雄略天皇と少子部連蜾蠃ちいさこべのむらじすがるを扱い、エピソードを読み解きつつ、天皇と臣下のつながりについて考察していきます。講座の様子を動画で特別公開!

今までは、少子部連蜾蠃の奇抜な人物像に注目されてきましたが、本講座では『書紀』の天皇が臣下と関係を持つ過程の描き方に注目し、「雄略がスガルに命じて○○を連れてこさせる話」二本を読んでいきたいと思います。

この講座はオンラインでいつでもどこでも受講可能です!
受講はこちらから↓
https://shonan-academia.stores.jp/items/63a5599d3463e745f4b27326

教室での受講はこちら↓
https://enodenensen.jp/academia/oneday/yoshihara/

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