江ノ電沿線新聞WEB日記『納涼電車』
今回は、かつて夏の江ノ電を賑わせていたという"納涼電車"を紹介しよう。
納涼電車は、江ノ電開業30周年イベントの一環で1931年に登場した夏季限定の電車だ。
納涼電車の運行は各地の路面電車で見られ、江ノ電に先行して横浜市電でも海水浴客向けに運行実績があったようだ。
江ノ電は当初、旧式の小型電車を改造して納涼電車を制作したが、好評だったようで1936年にはタンコロと同じサイズの大型車体を制作して運行するようにした。
この電車は運行期間が夏だけなので、車輪やモーターは海水浴シーズン中だけ普通のタンコロから借りてきて、シーズンオフになると元の電車に返却していた。車両番号は部品を貸してくれた電車の番号を借りていた。
現代より電車の構造が簡素であったからこそできたことだろう。
イラストにはその大型の納涼電車を示す。
車体はブルーで、運転台中央の窓を除いてガラスはなく、さらに電車の壁も小さな穴が空いた網のようになっていて、風通しを良くしている。屋根は紅白のテントを取り付けていて、後年頑丈なものに変更されたと言われている。
内装は個体差・年代によって違いがあるため詳細は不明点が多い。畳敷きにしているもの、ベンチを設置しているもの、さらに座席を取り払ったものもあると言われている。日除けにはカーテンを使用していたようで、カーテンをなびかせて走る姿が写真に残されている。
観光客は納涼電車に乗り、由比ヶ浜と片瀬の海水浴場を行き来することができた。
このような海水浴客の利用を想定した割引乗車券も販売されていた。
電車にはサービスガールが乗務し、車内販売も行われていたというから、海の家が走っているような華やかな電車だったのであろう。
そんな納涼電車だが、戦争の激化で出番を失った。
そして戦後の電車不足の中で部品を集めて活躍する。
1948年頃に実際に乗車したという方に当時の様子を聞くことができた。
デッキから段差を登ると座席の無い客室があったそうで、雨の日にも駆り出されたため、乗客は傘をさして乗ったという。
その後は窓ガラスをはめられ、壁の穴も塞がれ、201/202という番号を与えられて普通の電車として活躍したが、しばらくして300形・500形に台車を譲って姿を消した。
短命ながら納涼電車に関する回想は多く、多くの人に衝撃を与えたことがわかる。
絵に起こしてみると、改めてその発想に驚かされた。