続・湘南のお地蔵さま『奥州阿古菜志地蔵』
中島淳一
平塚駅北口よりバスに乗り纏(まとい)公民館前で下車。少し戻って右折し四百メートル程で、奥州阿古菜志地蔵を祀る小さなお堂と出会う。高さは四十センチ程で舟形の光背を伴い合掌する。目鼻立ちは長年の風雨のためはっきりしないが、江戸時代の嘉永五年(一八五二)に造られたようである。
この珍しい名前の由来だが、江戸から明治時代にかけて、奥州(東北地方)に口中一切の病気平癒に霊験あらたかといわれる阿保原(あほばら)地蔵の信仰があり、これが関東でも流行し、いつの頃からか「あごなし地蔵」と呼ばれるようになったようである。
このお堂を建てた地元旧家の先祖が自らの病気の平癒をこのお地蔵さまに祈ったところ治ったので、奥州よりこの地に勧請したと伝わり、その時に当て字の「阿古菜志」をつけ地蔵の名前としたのではないだろうか。
あごなし地蔵の信仰は、隠岐島の小野篁(たかむら)と阿古那との伝説を出処として全国に流布するが、その参拝方法が独特で、お地蔵さまのあごを撫でたり、削ったりしたようで、その故かこの奥州阿古菜志地蔵のあごも補修されている。あごを削られては、お地蔵さまもさぞかし痛かったであろう。