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鎌倉殿がもっと楽しくなる!リレーコラム⑦鎌倉は源氏のもの?北条のもの?その2

大竹正芳(日本画家、日本城郭史学会委員)

平安時代中頃に鎌倉を拠点にしていた平直方は自分の娘を源頼信の息子の頼義に嫁がせて鎌倉も源氏に引き渡しました。こうして鎌倉は代々源氏の領地になったのです。

一方、直方の子孫はかつての勢いを失い、没落して地方豪族になりました。それが伊豆の北条氏だと言われています。頼信の子孫である頼朝と直方の末裔の政子が夫婦になることにより、鎌倉がより重要になりました。頼朝の次男である実朝は暗殺される前にすでに自分で源氏が絶えると考え、武士がなれる一番高い地位の右大臣の位を朝廷から授かりました。実朝が殺されて源氏が滅ぶと、元来の鎌倉の所有者であった平直方の子孫である義時が鎌倉の支配者になっていくのでした。

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