江ノ電沿線新聞WEB日記『続行運転』
タンコロの外見上の特徴として、連結器がないことが挙げられる。それでも一度に多くの人を運ぶため、今のような連結運転が主流となる前には、特殊続行運転という方法で電車を走らせていた時代がある。今回はそんな続行運転について説明していこう。
現代の電車は、2両編成の電車を2本繋げた4両編成で運転されていることが多い。当たり前に行われていることだが、先頭車の運転士が運転台を操作することで、後ろ側に繋がっている2両も前の2両とシンクロして加速し、減速する仕組みになっている。様々な技術によって4両運転は成り立っている。
さて、タンコロはこのような連結技術が生まれるずっと前から走っていたため、このような連結機構を持っていない。そこで考え出されたのが、特殊続行運転という方式である。つまり、連結していない電車が2~4両で連なって、追いかけながら走るというものだ。
ルールがいくつかある。まず、バラバラに動く電車でも一団を一本の列車と見なすので、単線区間でぶつからないように、通行手形(通票)が列車一本につき一つだけ渡される。これは一本の列車のうち、最後尾の一両の電車が受け取り、最後尾はその証に前後に白円板を掲げる。
つまりすれ違いのある駅で、白円板のついた電車とすれ違えば、次のすれ違い駅まで電車が来ないので発車できることを意味する。そして、お互い持っていた通行手形を反対方向の電車に渡して発車していくのだ。
このような続行電車は、藤沢〜江ノ島、鎌倉〜長谷・稲村ヶ崎など一部区間を中心に行われ、両端部の輸送に貢献したようだ。また2両編成の電車が走るようになると、2両編成を先頭にタンコロが後ろをついて走るようになった(イラスト参照)
特殊続行運転の終了は1971年、以降は現在のような連結運転が主流となり、連結器を持たないタンコロは1両でしか走れなくなった。結果として晩年のタンコロは、稲村ヶ崎〜江ノ島で車両を融通するときに連接車の代わりに細々と走るようになる。
※筆者注: イラストは連接車の整備が進んだ頃、ポールを上げて続行運転をする500形と100形である。しかしこの場合、ポールが架線から外れないよう監視するために、後面の窓を開けるのが正しい。筆者はこの知識をうっかり忘れて絵を描いてしまったため、窓を閉めてしまった。ここに訂正する。