私の江ノ電ばなし 第二話 玉電との再会
野口雅章 写真集『江ノ電305』著者
「あっ、玉電だ。」
極楽寺駅から、江ノ電の車庫の方を見た私は、思わず叫んだ。1970(昭和45)年初夏のことだ。
玉電と言っても、ご存じの方は少ないかもしれない。1969年まで渋谷と二子玉川を結んでいた路面電車だ。途中の三軒茶屋から下高井戸へ向かう路線は、今も世田谷線として健在だ。世田谷線の若林という駅の近くに親類がいて、何度か利用したことがあったので、すぐに玉電の車両と分かった。
それにしても、何故江ノ電の車庫に、玉電の車両があるのか。それは続行運転(※注)をやめ、重連(四両)運転を始めるための車両増備だと知ったのは、それから後のことになる。
後日、親のコンパクトカメラを借り、極楽寺の車庫に向かったのは言うまでもない。この時が、人生初の撮影となった。車庫には、駅から目撃した玉電色のままの車両が二両あった。さらに驚いたのは、玉電の車両が改造され、今までの江ノ電とは全く違う赤とクリーム色の車両が、二両連結で置かれていたことだ。車両番号は六〇一、六〇二となっていた。新しい仲間が江ノ電に加わって、私はなんだか自分のことのように嬉しくなった。
いずれにせよ、現在に至るまで撮り続けている江ノ電撮影の第一歩が、ここから始まったのだった。
(※注)乗客の多い時に、電車が前の電車のすぐあとを続けて走る運転方式。