鎌倉殿がもっと楽しくなる!リレーコラム 特別編『鎌倉~歴史を感じて~』
美里 奏(鎌倉在住)
NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が始まった。そしていよいよ来週は"いざ!鎌倉"だ。(2月20日時点)
普段、歴史に特に興味がある、という訳ではないのだけれど、ここ鎌倉に住んで七十年、せっかくなので、今年は鎌倉時代、そして源頼朝や東国の武士達に、思いを馳せてみようと思う。
私が幼稚園に通っていた時の事。母の実家から祖父がやってきて、ひと月程滞在していた事があった。歴史好きで読書家の祖父が、ある日「このあたりに行合川が流れているはずだ」と言った。そして、奥州平泉からやってきた源義経と、兄頼朝の使者がバッタリ出会った事に由来するという"行合川"の話をした。これが多分、私が鎌倉の歴史を知った最初だと思う。
小学四年の時、クラス全員で学校のすぐ裏手にある、源頼朝の墓に先生に引率されてお墓参りに行った事がある。社会科の授業時間を使っての事だったと思う。
又同じ頃、秋の歩きの遠足で、建長寺、半僧坊に行った。休憩時間には、晴れてキラキラ輝く鎌倉の海と町並みを眼下に見る事ができた。鎌倉は南に海が開け、東、西、北の三方を山に囲まれた自然の要塞である。との先生の説明があった。頼朝が幕府の地とした理由に、私は感心した事を覚えている。
市の象徴である、頼朝が建立した「八幡様」も「段葛」も、私にとっては日常の風景になっている。鎌倉駅を出て赤い「二の鳥居」を左に見て、「若宮大路」を横断する。いつも何気なく歩いている細い路地が、少しだけ曲がっていて先が見えにくいのは、敵から攻められにくくする為の工夫なのだ、ときいた事がある。これも頼朝の策の一つだろうか。
西風の強い、冬晴れの午後。私はふと窓から海を眺める。江ノ島ヨットハーバーを出帆したヨットが、風を一杯に受けてぐんぐん葉山へとむかって進んで行くのが見える。頼朝達を乗せた、小さな手漕ぎの木船も伊豆から千葉へ西風に助けられて、この海を渡って行ったのだ……。
"一一九二つくろう、鎌倉幕府"と歴史の年号を覚えた(今では一一八五とも教えている)。頼朝が、短い五十年の生涯で成し遂げた偉業から八百年余り。縁あって住む鎌倉への思いは尽きない。今年一年、いつも以上にここ鎌倉の歴史を感じつつ、日々を過ごしたいと思う。