おでかけ 鎌倉江の島七福神のススメ

鎌倉江の島七福神のススメ『毘沙門天』

江戸時代のお正月行事として一般化した七福神巡り。
鎌倉・江の島七福神は、お正月に限らず1年を通して参拝できます。

七福神にはそれぞれご利益があり、それぞれの神仏の出自を知ると、どんなご利益なのかがわかるのです!

江ノ電沿線新聞社発行の「七福神の伝来と鎌倉・藤澤 ~禍転じて福となす~」では、七福神の出自と伝来、そして、どのように私たちの町に伝えられて来たのかを知ることができます。

今回は「毘沙門天」の章から一部をご紹介します。

毘沙門天

毘沙門天は、だいたい、憤怒相と言う怒った顔をして、甲冑を着て、右手に三叉戟さんさげきと言う、先が三つに分かれているほこ(武器)を持って、左手に宝塔を持って、邪鬼を踏んでいます。威風堂々として実に格好良く、仏像ファンも多い仏です。

インドでの毘沙門天の歴史は古く、紀元前12世紀から紀元前3世紀にかけて伝えられた、インド最古の聖典「ヴェーダ」の中の、民間信仰や呪法を伝える「アタルヴァ・ヴェーダ」の中に、暗黒の世界にうごめく夜叉や羅刹(悪鬼)の首長として登場しています。怖かった毘沙門天ですが、時代が下ると、古代インドの叙事詩などには、インドの民族宗教ヒンドゥー教におけるクベーラ神の別名であると書かれています。財宝福徳をもたらす神と考えられていたのです。

毘沙門天と、四天王として祀られる多聞天は、同一の仏です。なぜ多聞天と言われるかと言うと、この仏の福徳を多くのところで聞き知っているからです。毘沙門の毘にはあまねくと言う意味があり、沙門には聞くと言う意味があります。梵語のヴァイシュラヴァナにも、同じ意味があるそうです。他には、多聞天が釈迦の側に伺候しこうして、仏法を護り、数多くの説法を聞いたからとも言われていて、こちらの説が一般的になっています。

仏教では、多聞天は、須弥山しゅみせんの北面の中腹に住んでいて、夜叉・羅刹衆を率いて北方を守護していると言われています。世界の中心にそびえ立つと言う高山で、頂上は帝釈天が住む忉利天とうりてんで、中腹に四天王が住んでいます。四天王は、東を持国天、南を増長天、西を広目天、そして北を多聞天が護っています。多くは、持国天は剣と矛、増長天は剣、広目天は筆と巻子を持っておられるので、目印になると思います。

四天王の中で多聞天は最も強く、これは、古来、インドでは北方からの侵略者が多くかったので、北方に強い守護を必要としていたからです。強い多聞天は人気も高く、やがて単独で崇拝されるようになり、名前も毘沙門天と呼ばれるようになった訳です。

毘沙門天は、鉱山の関係の仕事に就く人から、篤い信仰を集めていました。毘沙門天の神使はムカデです。鉱物を採取するために掘り進んだ穴が、まるでムカデのように見えたために百足むかで窟と名付けられ、毘沙門天に黄金を授かった霊験譚のように、金・銀・鉄などの富を授かったのです。

鎌倉の毘沙門天の巡拝所は、鶴岡八幡宮の側の金龍山宝戒寺です。東勝寺で自害した北条高時と北条九代を弔い、国家的な人材を育成する道場として後醍醐天皇の命を受けた足利尊氏によって建武2年(1335)に創建された、天台宗のお寺です。萩や枝垂梅の頃は特に美しく、お薦めしたいところです。毘沙門天は本堂の左奥に祀られています。

宝戒寺

 

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